“じじいくたばれ”に込められた優しさ




今日の昼間、長女とふたりで図書館へ。

 

平日だけど、長女は風邪の治りかけで、ちょっぴり咳が残っている状態。

でもしっかり治してから登校しようということで学校はお休みに。

 

しかし自宅にずっといるだけなのも暇なので、図書館で本を借りておうちでゆっくり読もうということになりました。

 

おじさんに怒られた…

図書館に着いて5分後。

中身を見てみたいと思った本が、60代くらいのおじさんが座っている椅子のすぐそばにあったの。

 

でも本を手にとるたびにおじさんの椅子の脚に、こつこつと当たってしまってね、最終的におじさんに少し怒られてしまいました…。

「本を全部出してみればいいじゃない!そしたら当たらないじゃないか」と。

 

そのとき、わたしは頭の中でとっさに、

「取り乱さず冷静に、大丈夫、とにかく謝らないと」

と言い聞かせていました。

 

長女もそばにいたから、長女を怖がらせないようにとも思って。

 

「すみません、失礼しました。大切な時間をじゃましてごめんなさい」

と言ったの。

そしたらおじさんは黙って向こうをむいてそのやりとりは終わりました。

 

でも内心はけっこうドキドキしてた。

人様を怒らせちゃった…こんなこと久しぶりに体験したから、怖かった…。

 

長女の言葉が“盾”に

図書館をあとにして、

「ねえさっきのちょっと怖かったよね」

と声をかけたら、長女が真剣な顔で、

「あたしはじじいくたばれって思ったよ」

なんて言うから、あははははって笑っちゃったんだよね。

 

きっと、緊張の糸がほどけたんだ。

ちなみに、普段の長女はとっても穏やかでやさしくて人の悪口も言わない子。重ねて言いますが、そばにいるだけで安心するような子です。

 

でも多分、わたしの気持ちを守ろうとそう言ってくれたんだと思う。

言葉だけ見れば乱暴だけど、わたしを守るための“盾”だった。

 

普段穏やかな長女が、わたしのためにあえて強い言葉を選んだんだと思う。

 

だれかに守ってもらえると「強く」なれる

あらためて自分の行動を振り返ってみた。

 

気遣いが足りなかったな、当たっていることに気づいてはいた。

でも気づいていたのなら、一言声をかけるとか、おじさんの言う通り、全部本を出して選ぶなど、椅子の脚に当たらないよう配慮すべきだった。

本当に申し訳ないと心から反省した。

 

でもきっと、長女が守ってくれたから、やさしさがあったから、自分の非を改めて受け入れられたんだと思う。

反省と心からの謝罪の気持ち、そして次からは相手に対して配慮の姿勢を忘れずに持とうと思えた。

 

長女の言葉使いは良くないかもしれないけど、長女のわたしを守ろうとしてくれた気持ちが、わたしを強くしてくれた。

強いってことは、自分の非を認めること、次は気を付けようと学ぶことだと思っているから…。

今日は長女といっしょにいられてよかった。

ちょっとシュンとしたけど、長女のやさしさとあたたかさに包まれた一日でした。