小4娘が夕食後、急に泣き出して…「多数決って従わなきゃいけないの?」




こんにちは!ちさ (@chissa122) です。

 

昨日のこと。

夕食後、急に小4の娘が

「ねえママ、多数決って、どうしても従わなきゃいけないの?」

と言い出し、5秒ほど考えたあと私は、

「時と場合によるかな」

と答えました。

 

それから娘は急に涙ぐんで、なぜそんなことを聞いたのか、経緯を話しはじめました。

 

小学校での授業で新聞づくりをすることに!多数決でテーマが決定

現在、娘の国語の授業では、テーマを決めて新聞作りをするようです。

 

1クラス35人で、グループを8つに分けているんだとか。

そのグループで話し合ってテーマを決めて、新聞作りをするんだそう。

 

娘のグループでは男の子2人と女の子2人。

相手の女の子はそこまで仲よくなく、どちらかと言うとタイプもまったく違う感じの子です。

仮にRちゃんとします。

 

残りの男の子2人ですが、HくんとTくんとします。

 

新聞作りをするうえで、RちゃんとTくんはカンタンに作れそうな

「先生について」

というテーマにしたいんだそう。

 

でも娘は、校外学習で体験してきた

「社会科見学について」

というテーマにしたいんだとか。

 

Hくんはどちらでもいいという感じ。

 

そこでRちゃんとTくんが、適当に作れそうな

「先生について」

というテーマでやろう!と勝手に話をすすめてしまったんだそう。

ちさ
勝手に決まっちゃうのはつらいよね…

 

「先生について」というテーマなら、難しくなにかを調べることなく、ただ先生にインタビューするだけだと。

 

娘は一度RちゃんとTくんに「社会科見学についてがいいな」と伝えたそうですが、

「えー-いいよこれにしようよ~ラクだし」

と言われてしまったんだとか。

 

RちゃんとTくんはなにかを

考えたり、

調べたり、

まとめたり、

ということが苦手なようだと娘が言っていました。

 

だから、先生に適当に何個かインタビューして、それをパパっとまとめたら新聞が完成するんじゃないかと。

 

あまり強く発言できない娘はそれに従うしかないのかと、昨日の夜、気持ちがあふれて泣いてしまったようです。

 

テーマが嫌ではなく、適当に作るのが嫌

ちなみに8グループあるうちの4グループが同じ

「先生について」

というテーマなんだそう。

 

ほかのグループでも「先生について」調べるし、RちゃんとTくんが

「カンタンそうだからこのテーマにしようよ」

と言い出したことで、適当な作業をしなきゃいけないのか…と嫌になってしまったんだとか。

 

娘はまじめでいい加減な仕事をしたくないタイプなので、この件はとっても辛かったようです。

 

自分の意見を聞いてくれないことが悲しいのか?

はじめ私は、

「自分の意見を聞いてくれないこと」

に対して悲しんでいるのかなと思いました。

 

多数決って、自分の思った通りにならないと悔しかったり、ムッとしたりすること、大人でもありますよね。

多数決は、たとえ自分が納得いかなくてもそれに従わなくちゃいけないというルール。

ちさ
多数決、子どもの時は納得できなかったな~

 

娘は、

「多数決だから、こんなこと言うのってわがままなのかな?」

「多数決だから、しょうがないのかな」

と。

 

極端だけど、多数決で決まったからって人を攻撃していいかといったら、それは絶対間違ってる。

多数決で決まったからって、自分のやりたくないことを我慢してやるのは違うな…と思ったんですよね。

 

そして、娘の気持ちの

「本質の欲求」

がこの時点では分からないなと思いました。

ちさ
本当は何がイヤなんだろう…?

 

新聞を適当に作るのが嫌なのか、

自分のやりたいテーマじゃないことが嫌なのか、

他のグループでもやっていることを自分のグループでもかぶっていることが嫌なのか、

テーマ自体が嫌なのか、

 

こんな質問を繰り返していたら、3度ほど娘の口から

「しっかりした新聞が作りたい」

という言葉が出てきました。

 

「しっかりした新聞を作りたい」と3度言うことから娘の本当の気持ちが分かった

私は娘に、

「ねえ娘ちゃんさ、さっきから”しっかりした新聞が作りたい”って3回くらい言ってるけど、娘ちゃんはしっかりした新聞を作りたいんじゃない?」

「テーマは先生についてでOKで、だったら適当な新聞にならないようにさ、他のグループでは考えつかないような質問を何個か考えて、それをグループのみんなに提出したら、コレいいじゃん!てなんないかな?」

 

それを聞いた娘は顔がパーッと明るくなって、

「それいいね!そっか!それならしっかりした新聞作れるよ!」

とワクワクした表情でこたえました。

 

私「紙とペンもっといで!ママもいっしょに考えるよ!」

娘「うん!」

私「みんなが興味わくような、この質問は思いつかないっしょみたいなこと考えるか!」

娘「うんいいね!そしたらさ、んー…先生の名前の由来とか聞くのってどう?」

私「お!それいいじゃん!みんなもそれ知りたいと思うよ!」

 

こんな感じで、はじめは10個ほど考えればいいかなと思っていたら、あれよあれよと20個くらい案が出てきました。

娘も、これならしっかりした新聞を作れる!と気持ちがグッと上がったようです。

 

本当の欲求ってなかなか本質に気づけないもんだな

この件で、

人が悲しんでいる理由、

悩んでいる理由、

困っている理由など

「欲求の本質」にはなかなか気づけないものだなと実感しました。

 

私も以前夫とケンカしたとき、悲しい気持ちと怒りの気持ちが混ざってわけわからん状態になりましたね。

一体なにに対して悲しんでいるのか、

どれに怒っているのか、

なにを伝えたかったのか、

というのを頭の中でぐるぐると回ってしまうことありましたね。

 

娘が悲しんでいること、引っかかっていること、こうしたいのかな?と思ったことを何度か質問することで、

「しっかりした新聞を作りたい」

という一番の欲求にたどりつくことができました。

 

娘も「しっかりした新聞を作りたい」という思いの本質に出会えたのが嬉しかったようです。

 

テーマを変えることでもなく、自分の意見を一方的に通すのではなく、

「しっかりした新聞をつくるためにやることは何か?」

と、やるべきことが見つかって心が晴れたんだと思います。

 

まとめ

今回の件は、本当に学びが大きかったです。

 

自分に当てはめてみても、思いつくことばかりですね。

過去に悩んでいたこと、辛かったことでは、本当はコレがやりたくて悩んでたんだなと。

 

しっかり娘の話を聞くこと、いろんなモヤモヤをつかみとってあげること。

これからもこうして子どもたちの本質に気づいてあげたいですね。

 

というのも、実は最近「傾聴」に興味があって、先日関連する本を1冊読み終わったばかりでした。

 

まだまだ学びが浅いので、傾聴が出来ていたかというとまだまだです。

じっくり話を聞くことで、実は本人がすでに答えを持っているということを学んだ気がします。

 

グッと心をつかまれた体験でした。