「算数や国語のべんきょうが将来のやくにたつのか?」の私なりのこたえ




こんにちは。ちさ (@chissa122) です。

 

「算数や国語のべんきょうが将来のやくにたつのか?」

って問題、よくあるじゃないですか。

 

それについて私なりに思ったことがあるんです。

 

国語と算数を学ぶのって、

「思考力をきたえるための一つのツール」

なのかもって思ったんですよ。

 

例えば、先日長女の宿題を見ていてこんな問題がありました。

(算数アレルギーの方ごめんなさい!コレ私もめっちゃ???ってなった)

 

 

「たろうさんが12歳の誕生日を迎えました。たろうさんは、生まれてから誕生日を迎えるまで、何秒たちましたか?」

(ただし、うるう年は考えないものとする)

 

って問題があって、

これって、

60秒×60分(まず1分を60秒になおして、それを60分ぶんけいさんする)

=3600秒

 

1時間は3600秒だとわかった。それを24時間分計算すると、

3600秒×24時間=86400秒

 

24時間は86400秒だとわかった。

ほんでそれを1年間分計算すると、

86400×365日=31536000秒

 

1年間は、31536000秒だと分かった。

それを12年間分にすると、

31536000秒×12年=378432000秒

 

てことで、たろうさんは生まれて12年間たって、

378432000秒たちました。

 

 

って問題だったのね。

 

話をもとにもどすと、

この算数のもんだいを解いて、なんのやくにたつのか?

って最近まで思ってたんですよね。(算数、大のニガテだし)

 

日常会話で、

「ねえ、私起きてから何秒たったっけ?」

とか言わないですよね。

 

でも、この「考える」ってことが生きていくうえでなにより大事なことで、

算数や国語をべんきょうするのは、この思考力をきたえるための練習みたいなものなのかなって思ったんですよ。

 

「まず1分を秒になおして、それを一時間分の秒数にして…」

って、頭の中を整理しながらどの順番で計算するかってめっっっちゃくちゃ頭使うんですよね。

 

しっかり頭を使わないと、どんな式になるかも分からない。

 

これって、普段の生活でも通ずるものがあって、

困難や問題にぶつかったとき、

 

頭ぐちゃぐちゃなままどうしようどうしようなんて言ってたら、

問題なんて解決できるわけないですよね。

 

困ったことや、悩んだときに、ただ頭の中をぐるぐるまわしてるだけじゃ何も変わらない。

 

また同じ失敗をくりかえして、失敗続きの人生を送るか、

それとも、まずこの困難をどうやって変えていくかって、しっかり考えられるかによって、

人生を楽しく過ごせるかの分かれ目になると思ってるんですよ。

 

私が子どもだったときはこんな感じ。

 

失敗して過ごして、

また失敗して過ごして、

次にやっとその失敗を雰囲気で受け流す方法を覚えて…

 

って「解決」することに頭がシフトできない子どもでした。

 

だから、自分の子たちには、

「困ったときにしっかり考えて、乗り越える方法をじぶんでみつけられるような大人」

になってほしい。

 

そのための

算数

国語

なんだなと思いました。

 

算数では、ベースとなる原因や、このモヤモヤの正体はなにか

を考えるための力を養って、

 

国語では、この人の話はなにを訴えたいのか?なにを伝えたいのか?

って会話や文章からポイントをしぼる力が養われるのかなーと。

 

そんなことを思った午前10時。